[評論]イ・マンヒ新天地総会長は世論の裁判を受けてはならない

2020年08月27日(木) 19:00:05

90歳で持病のある男性の身柄を、韓国政府が拘束している。詳しい事由を知り、正当性を考えていただきたい。(※この記事は、韓国メディアの報道を翻訳した記事です)

春から続いた新型コロナで憂鬱だったが、弱り目に祟り目のように襲う天災がより一層国民を疲れさせている。春と夏、二つの季節を不安感と無気力のなか虚しく送り、誰もがさぞ苦しく大変だったであろう。憂鬱だという表現がこのようなときにピッタリであり、社会の清涼なところを探してみても何一つないのが現実である。
ただ周辺で聞こえてくるのは、光復節という喜ばしい日であっても、国民がソウルの光化門(クァンファムン)へ馳せ参じて「政権打倒」のデモをしたことや、しばらく停滞していた首都圏地域の新型コロナ感染者が五日ぶりに1000人に達して第二次流行の危機に瀕していることなど、憂鬱な便りばかりだ。

それゆえ、死力を尽くして鳴きまくり夏の清涼感を持ってくるセミに、かえって感謝している。通常、真夏の暑さが遠のいていく時期にセミの鳴き声は激しい。セミ自身は短い一生の間に交配するため必死に鳴くのかもしれないが、季節の流れから見るとこれも一つの自然の摂理で、その猛烈な鳴き声は「すぐに夏が終わる」という予告のようであり、セミのような小さな生き物さえも自然法則に順応していることに不思議さがある。
しかしそう考えてみれば、自然の摂理が人間の生活を狂わせるのも同様であるから、すべてのことを摂理に従って行うべく、私たちの社会で猛威を振るう新型コロナに関連した一つの事件を見直してみる。

本来、社会の各種制度による措置は、人間らしい生活を送らせるところにある。社会秩序のための刑罰も例外ではない。それで、憲法でも罪刑法律主義を言及しており、刑事被告人に有罪が確定する時までは「推定無罪」の原則がある。これは、人身拘束と裁判にあって慎重に行うことや社会的身分などにより差別を受けない平等性にも関連する。
そのように見た際、去る14日に感染病予防法違反などの疑惑で起訴されたイ・マンヒ新天地総会長(89)の拘束に対して、新天地教会信者をはじめとした国民の意見が噴出していることに、当局は耳を傾けなければならない。

大半の意見は、「90歳と高齢で持病がある老人に対して、必ず拘束し裁判を受けさせなければならないのか」という疑問だ。令状発給担当判事は拘束理由を「犯罪事実に対して一部論争の余地があるが、一部は疑惑が確実に見える」と話し、「証拠隠滅の恐れがある」として、イ総会長に対して令状を発給した。これは令状発給専門担当の裁判官が決めたことであり、国民の立場では意見を言えないことだとしても、後味の悪さが残る。

この件と関連して、去る2月にチュ・ミエ法務長官が「新天地の疫学調査妨害などの不法行為に対して、押収・捜索の強制捜査で強力に対処しなさい」と検察に指示するや否や、水原(スウォン)地検で押収・捜索を敢行して、積極的に強制捜査に出た。新天地教会信者ではなくても、この件を拘束捜査する必要性に対しては、多くの国民がいぶかしんでいることは明らかだ。
さらにソン・ヘウォン前与党議員は、数日前の一審裁判で、1年6か月の宣告があったのに、防御権を行使したために法廷拘束されないことと比較してみれば、裁判所が異なるにしても、機会提供の公平性においてみれば、首を傾げたくなる。

誰でも、罪を犯せば法的制裁をしなければならないということは間違いない。ところが、法の適用にあって前後の事情を鑑みた情状酌量ということがある。
去る2月、新天地大邱(テグ)教会で大規模感染が起きた当時は、大統領が「日常生活に復帰しなさい」と推奨しており、誰も感染拡大を予測できなかった。今のように、首都圏第2流行憂慮期にも、サラン第一教会など一部の教会の信者が、十分に認知した状態で協力しなかったこととは明確に差があり、その点は正常に考慮されなければならない。

イ総会長の横領疑惑は、事実の有無を裁判過程で確かめてみれば良いことで、その他の疑惑のうち、新天地が地方自治体からの許可を受けず公共施設を無断利用した疑惑に関しては、起訴自体に問題点がなくはない。これは新天地でなく「天の文化世界平和光復(HWPL)」が開催した万国会議だ。国際平和行事開催のために、HWPLが行った公共場所使用申請を、特定の宗教団体への反対を口実に不許可とした地方自治体の誤った態度が根本的な問題であって、無断利用が取り沙汰されることではない。
結果的に、万国会議に参加した国外の政治・宗教指導者が朝鮮半島の平和が痛切であることを再認識した契機として役立ったHWPLの行事は、宗教行事でなく定評ある国際平和行事であることを注目しなければならない。

新天地の裁判を気にする国民の視線は多い。イ総会長の宗教指導者的政治功績は別に置いても、戦争終息と国際平和のための彼の努力は尊敬されるのも当然だ。そのような次第で、90歳という高齢で拘束されて裁判を受けるのは、法以前の人道的な問題であり、仏教徒である筆者は、人間中心の社会での健全な摂理に則って、拘束なく裁判を受けるのが妥当ではないかと考えている。

出典:http://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=769672

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